なぜわたしは写真を撮るのか

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一眼レフを始めたのは、ある友人の写真がきっかけだった。

ニューヨークで撮影されたその写真は、高層ビルが建ち並ぶ道路の真ん中で、イエローキャブを被写体としてとらえたものだった。

白黒加工に浮かぶ、黄色いタクシー。

しかも、角度や場所を変えて何枚も。

同じような写真ばかりなのになぜか飽きないどころか、もっと見たくなるような。

撮り手の圧倒的な世界観がわたしの心をつかんだ。

わたしも撮りたい。

気づけば、ネット通販で一眼レフを買っていた。

社会人初めての給料が入った記念に、という言い訳付きで。

 

なぜ人は写真を撮るのか

「写真」というものが、人々にとってどれほど大切なものなのか、考えることがある。

震災が起きたとき、生活必需品と同じくらい探されるのが思い出のアルバムだ。

大掃除の途中でみつけたら手が止まってしまうのも写真。

昔話に花が咲くきっかけにもなり、女子会で彼氏の自慢大会にも用いられる。

 

なぜ人は写真を撮るのだろうか。

写真とは本来、嗜好品と同じであるはずなのだ。

なぜなら、なくても生きていけるからである。

カメラだって写真館だって、はたまたカメラマンという職業だって、昔から存在しないのであれば誰も困らない。

それでも世界ではカメラが誕生し、撮影を仕事とするカメラマンがいる。

 

記憶の形状化としての写真

記念写真、という言葉は不思議な単語である。

なぜなら「写真」という言葉にすでに「記念」という意味合いが含まれているからだ。

写真とは、記憶を形として残すために撮るもの。

または、記念の日を、その瞬間を忘れないために撮るもの。

そう考える人が多いだろう。

わたしもそう思う。

写真があればタイムスリップができるし、記憶を引き出すきっかけにもなる。

それは写真の立派な役目だ。

 

なぜわたしは写真を撮るのか

あぁ、楽しい。

写真を撮っていると、ふとそう思うことがある。

わたしはカメラスクールも行ってないし、プロのカメラマンに教えてもらったこともないから、写真の出来の良さはわからない。

正解もわからない。

でも、とにかく楽しいのだ。

わたしだけの世界がファインダーの中に広がるこの感覚が、たまらなく愛おしい。

世界を独り占めしている、そんな気分になる。

わたしが見ている世界は、なんて美しいのだろう。

そう思う。

わたしが写真を撮るのは、まるで恋をしているかのようなこの感情と胸の高鳴りを感じたいから、かもしれない。

 

わたしの世界を見せたい人がいる

わたしには、自分が撮った写真を見せたい人がいる。

ファインダーから見えたこの世界を、一緒に感じてほしい人がいる。

わたしの写真で、笑顔になってほしい人がいる。

人に評価されるために撮るのではない。

たったひとりでも、見せたい人がいる限り、わたしはこの先も写真を撮り続けるだろう。

 

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